江戸開府400年の歴史を、あなたの足でたどってみませんか。
この地域は、天井のない「歴史と文化」のミュージアムです。
グランドアーク半蔵門から、いざスタート!
- 【1】瀧廉太郎旧居跡
- 「荒城の月」「花」などを作曲した瀧廉太郎は、従兄の瀧大吉の家に寄宿し、ここから上野の東京音楽学校(現在の東京芸術大学)へ通学していた。
- 東京都千代田区一番町6番地
- 上二番町
- 【2】女子英学塾(津田梅子)跡
- 明治33年、津田梅子によって英国大使館裏に女子のための英語学校(後の津田塾大学)が設立。
- 東京都千代田区一番町31番地
- 五番町16
- 【3】武者小路実篤生誕の地
- 明治18年、父実世の屋敷があったこの地に白樺派の巨匠が誕生した。
- 東京都千代田区一番町17番地
- 元園町一丁目38
- 【4】斎藤秀三郎・斎藤秀雄旧居跡
- 英語学の大家であった秀三郎の家。その長男がチェロ奏者として活躍し、戦後は日本の西洋音楽の教育に一身を捧げた秀雄であり、その門下から小澤征爾などが育った。
- 東京都千代田区一番町2番地
- 五番町2番地
- 【5】青木周蔵旧居跡
- いきいきプラザ一番町のあたりは、明治期に外交官として条約改正に奔走した外相青木周蔵の屋敷だった。彼の妻はドイツ人女性で、国際結婚のはしりでもあった。戦後は国鉄総裁公邸があった。
- 東京都千代田区一番町12番地
- 上二番町15
- 【6】郷誠之助旧居跡
- 日本の株式市場を確立した戦前の代表的財界人郷誠之助の屋敷があった。
- 東京都千代田区一番町14番地
- 上二番町28
- 【7】武田麟太郎旧居跡
- プロレタリア文学の旗手が戦前ここに住んでいた。
- 東京都千代田区二番町10番地
- 下二番町29
- 【8】吉屋信子旧居跡
- 「女の吉川英治」と謳われた人気女流小説家が戦前の一時期、ここに住んでいた。
- 東京都千代田区二番町11番地
- −
- 【9】武者小路実篤旧居跡
- 始めて実家を出て、所帯を持ったのがこの場所。
- 東京都千代田区二番町4番地
- 下二番町48
- 【10】三宅花圃旧居跡
- 樋口一葉と同門で、近代文学史上初の女流作家といわれる三宅花圃が、夫三宅雪嶺と住んでいた。
- 東京都千代田区二番町5番地
- 下二番町37番地
- 【11】松本幸四郎(白鴎)旧居跡
- 戦後を代表する歌舞伎界の大御所8世松本幸四郎(初代白鴎)が住んでいた家。現幸四郎、吉右衛門も幼い時期をここで過ごした。
- 東京都千代田区二番町10番地
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- 【12】邦枝完二旧居跡
- 戦前の人気時代小説作家で、地元の麹町小学校出身だった邦枝完二が住んでいた。
- 東京都千代田区二番町3番地
- 下二番町72
- 【13】麹町教授所(麹溪塾)跡
- 江戸時代、武士の子弟を教育した幕府直轄の学校がここにあった。
- 東京都千代田区二番町4番地
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- 【14】加藤高明旧居跡
- 現在のベルギー大使館の敷地は、総理大臣を務めた加藤高明の旧居でもあった。
- 東京都千代田区二番町5番地
- 下二番町35
- 【15】永井荷風旧居跡
- 耽美派作家永井荷風が青春時代を過ごした家があった。
- 東京都千代田区三番町6番地
- 一番町42
- 【16】国木田独歩旧居跡
- 「武蔵野」など自然主義小説の先駆者が、ここに住み新婚生活を送った。
- 東京都千代田区三番町7番地
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- 【17】武林無想庵旧居跡
- 大正・昭和の無頼派作家だった武林無想庵が、養父の武林写真館で若き日を過ごした。
- 東京都千代田区三番町5番地
- 一番町11
- 【18】和学講習所(塙保己一)跡
- 「群書類従」などを編纂した盲目の大学者塙保己一とその子次郎の屋敷跡。
- 東京都千代田区三番町24番地
- 麹町六番町
- 【19】佐野の桜跡
- 殿中で田沼意知を切った佐野善右衛門の屋敷には、有名な桜の樹があった。
- 東京都千代田区三番町12番地(大妻女子大学敷地内)
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- 【20】一番町教会跡
- 植村正久牧師が主宰し、国木田独歩らが受洗した教会(後の富士見町教会)。
- 東京都千代田区三番町6番地
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- 【21】大橋図書館跡
- 啄木、菊池寛らも通った最初の近代図書館であった大橋図書館は、博文舘の大橋佐平によって設立された。
- 東京都千代田区三番町22番地
- 上六番町44
- 【22】東郷平八郎旧居跡
- 日露戦争を勝利に導いた元帥東郷平八郎が50年あまりをここで過ごした。旧居跡は東郷元帥記念公園になっている。
- 東京都千代田区三番町18番地
- 上六番町37
- 【23】大久保伊勢守(一翁)屋敷跡
- 大久保一翁は幕府の要職にあり、維新後は静岡県知事、東京府知事を務め議会制を推進した人。
- 東京都千代田区三番町20番地
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- 【24】与謝野鉄幹・晶子旧居跡
- 情熱の歌人・晶子とその夫で「明星」の主宰者鉄幹が住み、多くの文学者たちがここに集った。
- 東京都千代田区四番町9番地
- 中六番町7
- 【25】三浦環旧居跡
- 世界で「蝶々夫人」などを歌い絶賛を博した世界的プリマは、この地から世界へ。
- 東京都千代田区四番町8番地3
- 中六番町51
- 【26】大谷竹次郎旧居跡
- 松竹社長として歌舞伎界を育てた大谷竹次郎が戦前に住んだ屋敷跡。
- 東京都千代田区四番町5番地
- 中六番町23
- 【27】網野菊旧居跡
- 志賀直哉に師事した女流作家網野菊は、生涯を通じてこのあたりに住んでいた。
- 東京都千代田区四番町1番地
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- 【28】井上信濃守屋敷跡
- 下田奉行、外国奉行を歴任。幕府倒壊前には町奉行となる。
- 東京都千代田区四番町9番地
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- 【29】中江兆民(仏蘭西学舎)旧居跡
- 福沢諭吉とともに、明治期の思想界をリードした中江兆民は、日本のルソーとも言われた。
- 東京都千代田区四番町6番地
- 麹町五番町2番地
- 【30】若槻礼次郎・小室翠雲(日本南画院)旧居跡
- この地は、首相となった若槻礼次郎が住み、後に南画の大御所であった小室翠雲が日本南画院を併設して居住。
- 東京都千代田区四番町4番地
- 中六番町40
- 【31】ジョルジュ・ビゴー旧居跡
- 明治期の風刺画で有名なフランス人ビゴーは、兆民の仏蘭西学舎でも教鞭をとっていたので、このあたりに住んでいたのだろう。
- 東京都千代田区五番町4番地
- 土手三番町16
- 【32】川路太郎屋敷跡
- 幕末に勘定奉行や外国奉行を務めた川路聖謨の嫡男の家。江戸開城の日、聖謨はここでピストル自殺した。
- 東京都千代田区五番町12番地
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- 【33】内田百闍結署ユその1
- 百閧ェ東京大空襲で焼けるまで住んだ五番町の家。
- 東京都千代田区五番町12番地
- 麹町区土手三番町37番地
- 【34】内田百闍結署ユその2
- 東京大空襲で焼け出され、この地に掘立て小屋を建て3年もの間住んでいた。
- 東京都千代田区五番町14番地
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- 【35】内田百闍結署ユその3
- 戦後から歿するまで23年間住んだ家。「ノラや」「東京焼尽」などの名作がここから生まれた。
- 東京都千代田区六番町6番地15
- 六番町6-15
- 【36】島崎藤村旧居跡
- 「夜明け前」の作家島崎藤村が晩年に住んだ家。
- 東京都千代田区六番町13番地
- 麹町区下六番町17
- 【37】有島武郎・有島生馬・里見ク旧居跡
- 有島三兄弟が育った家は、広大な元旗本屋敷だった。一時は、菊池寛の文藝春秋社もここにあった。
- 東京都千代田区六番町3番地
- 下六番町9・10
- 【38】泉鏡花旧居跡
- 「婦系図」のモデルでもあった愛妻と30年間を過ごした二軒長屋がここにあった。水上滝太郎など多くの若手文士がこの地に集った。
- 東京都千代田区六番町5番地
- 下六番町11
- 【39】藤田嗣治旧居跡
- 今なお根強いファンが多いエコール・ド・パリの画家藤田嗣治の家があった。
- 東京都千代田区六番町13番地
- 六番町13
- 【40】中村吉右衛門(初世)旧居跡
- 歌舞伎界希代の名優だった中村吉右衛門(初世)が住んでいた。
- 東京都千代田区六番町11番地
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- 【41】市川猿翁・段四郎・猿之助旧居跡
- 歌舞伎界の革命児だった猿翁と、その孫の現猿之助など三代にわたって住んでいた。
- 東京都千代田区六番町7番地
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- 【42】島木赤彦旧居跡
- アララギ派の歌人であった島木赤彦がここに住み、短歌雑誌「アララギ」の発行所ともなった場所。
- 東京都千代田区六番町1番地
- 下六番町27番地
- 【43】成瀬隼人正上屋敷跡
- 成瀬家は、代々尾張藩の家老職で犬山城主でもあった。その末裔である東大教授成瀬正勝は近代文学本のコレクターとして有名で明治村の成瀬正勝文庫として保存されている。
- 東京都千代田区六番町11・13・15番地
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- 【44】明治女学校跡
- 相馬黒光、羽仁もと子、野上弥生子など先進的な女性を育てた女学校がここにあった。若き日の島崎藤村、北村透谷なども教師として活躍。
- 東京都千代田区六番町3番地1
- 麹町下六番町6番地
- 【45】大杉栄旧居跡
- アナーキスト思想家の大杉栄は番町近辺に下宿し、現在番町小学校のある場所に住んでいた時期もあった。
- 東京都千代田区六番町8番地
- 下六番町37
- 【46】松岡洋右旧居跡
- 国際同盟総会で席を蹴った外相として知られる松岡洋右が住んでいた洋館があった。
- 東京都千代田区六番町6・12番地
- 下六番町12
- 【47】ほうろく調練場跡
- 江戸時代の武士の教練場だった場所。
- 東京都千代田区麹町1丁目12番地2
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- 【48】助惣跡
- 江戸時代、現在のドラ焼きの元祖として繁昌した店があった。
- 東京都千代田区麹町1丁目3番地
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- 【49】海獄楼跡
- 幕末の儒者安井息軒の私塾海獄楼があった。
- 東京都千代田区麹町1丁目12番地1
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- 【50】千家元麿生誕地
- 白樺派の詩人千家元麿が、ここで生まれた。
- 東京都千代田区麹町1丁目
- 麹町三丁目
- 【51】岡本綺堂旧居跡
- 「番町更屋敷」や「半七捕物帳」の作者の岡本綺堂が長く住んでいた。
- 東京都千代田区麹町2丁目12番地
- 元園町1丁目19番地
- 【52】旧麹町四丁目「大屋七郎店」跡
- 赤穂浪士・間十次郎らが身を隠していた裏店のあったあたり。
- 東京都千代田区麹町3丁目1番地
- 麹町四丁目
- 【53】旧麹町四丁目「和泉屋五郎兵衛店」跡
- 赤穂浪士・岡野金右衛門らが身を隠していた裏店のあったあたり。
- 東京都千代田区麹町3丁目1番地
- 麹町四丁目
- 【54】金麟堂(尾張屋清七)跡
- 江戸切絵図を発行した版元金麟堂(尾張屋清七)跡
- 東京都千代田区麹町4丁目1番地
- 麹町六丁目
- 【55】旧麹町五丁目「秋田屋権左衛門店」跡
- 赤穂浪士・富森助右衛門らが身を隠していた裏店のあったあたり。
- 東京都千代田区麹町3丁目2番地
- 麹町五丁目
- 【56】旧麹町六丁目「大屋吉右衛門店」跡
- 赤穂浪士・寺坂吉右衛門らが身を隠していた裏店のあったあたり。
- 東京都千代田区麹町4丁目1番地2
- 麹町六丁目
- 【57】栖岩院・常仙寺跡
- このあたりは栖岩院・常仙寺などが寺院が軒を列ね、寺町だったことが偲ばれる。
- 東京都千代田区麹町5丁目2番地
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- 【58】心法寺
- 心法寺は千代田区で唯一墓地を持つ寺で、江戸初期からの古刹。有名人の墓所でもある。
- 東京都千代田区麹町6丁目4番地2
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- 【59】渡辺崋山生誕地
- 江戸末期の蘭学者で画家としても有名な渡辺崋山は田原藩の家老職の家柄。この地に田原藩の上屋敷があった。
- 東京都千代田区隼町4番
- 外桜田・三宅備前守上屋敷
- 【60】松本順旧居跡
- 幕末・明治の医師で、陸軍軍医制度を確立した松本順(良順)が住んでいた。
- 東京都千代田区平河町1丁目9番地
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- 【61】半井桃水旧居跡
- 樋口一葉の師であり思慕の人でもあった半井桃水が、このあたりの借家に住んでいた。
- 東京都千代田区平河町1丁目3番地
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- 【62】寺田寅彦生誕地
- 漱石門下で科学者・エッセイストの寺田寅彦はここで生まれた。
- 東京都千代田区
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- 【63】山田浅右衛門旧居跡
- 「首斬り浅右衛門」と呼ばれた山田浅右衛門は、代々幕府御用の刀鑑定の家柄で、受刑者の首切り役でもあった。
- 東京都千代田区
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- 【64】平河神社(平河天満宮)
- 江戸開府以前からあった古い歴史を持つ平河天満宮は、家康入府後門前町とともに現在の場所に移転。
- 東京都千代田区
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- 【65】高野長英旧居跡
- 江戸の蘭学者高野長英はここに大観堂学塾を開いたが、後に幕府に追われる身となる。
- 東京都千代田区
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- 【66】紀伊藩中屋敷跡
- 徳川御三家筆頭の紀州徳川藩の中屋敷跡で、明治後は北白川宮邸から李王家の屋敷となった。
- 東京都千代田区
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- 【67】井伊家中屋敷跡
- 幕末に水戸浪士に暗殺された大老井伊直弼を生んだ井伊家の中屋敷であった。
- 東京都千代田区
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- 【68】尾張藩中屋敷
- 尾張中納言と呼ばれた尾州徳川家の中屋敷跡。この紀伊、尾張、井伊の頭文字をとって紀尾井町と名付けられた。
- 東京都千代田区
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- 【69】大久保利通遭難の地
- 明治維新の立役者であった内務卿大久保利通が、明治11年襲撃された場所に大きな顕彰碑が建っている。
- 東京都千代田区
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- 【70】尾上松緑・水谷八重子旧居跡
- 歌舞伎の松緑、新派の八重子など、演劇界の大御所が軒を連ねていた紀尾井町。
- 東京都千代田区
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- 徳川家康の入府当時、鷹匠を住まわせていたので、町名になったといわれています。その後は、旗本屋敷として利用されていましたが、さらに幕府用地から町人地となりました。

- 江戸時代、徳川家康は甲州街道の道筋であるこの界隈に、江戸城の警備や市内の治安などを担当する将軍直轄の武士団である大番衆(おおばんしゅう)を住まわせました。大番衆は当初六つの組に分かれていたため、一番町から六番町の呼び名が付けられました。当時は、さらに表二番町というように、表や裏、新道といった名称が加わった町名が通称となっていました。

- 古くは糀町とも小路町とも書かれました。小路が入り組んでいたから小路町と呼ばれ、その後麹製造業が多くあったから麹町になったとも言われています。また、国府路(こふじ)から転化したという説もあります。番町の武家屋敷を支える商業地として栄えました。

- かつては太田道灌も信仰したという平河天満宮は、菅原道真を祭神とし江戸城内にありました。その後平川御門外に移され、慶長年代の江戸城修復の際には、門前町もいっしょに今の地に移されたのが始まりといわれています。

- 切絵図にも紀尾井坂という表示があるように、紀州徳川家、尾張徳川家、井伊家の頭文字をとってこのあたり一帯を紀尾井と呼んでいたのは、かなり古くからのようです。明治5年から正式の町名として起立されました。



















